16、17世紀絵画


 

Johannes der Taufer

Seltenes Oelbild auf Holz

Flaemisch Ende 16. Jahrhundert. Ein sehr fruehes Bild.

『パプテスマのヨハネ』 1580年頃 フランドル

33 x 24.5 cm

45 x 36 cm 額

16世紀、17世紀のルネッサンス時代に、たいへん人気のあったモチーフ、パプテスマのヨハネです。

ヨハネを示すラクダの皮をまとった半裸の姿、ラテン語で「見よ、神の羊」という有名な文章が書かれています。

描いたのはフランドルの画家で、色彩はフランドルのものですが、タッチはイタリアルネッサンスの強い影響を受けており、画家はもしかするとイタリアへ勉強に行っていた可能性があります。

こういったフランドルの16世紀絵画はほとんど市場に出ることはありません。出ることもあったとしても大変に高価です。

絵はとても状態がよく、小さな修復はありますが、オリジナルをよく保っています。16世紀の絵でここまで状態の良いものは稀です。

参考資料として、オランダのマースリヒトにある美術館が所持している同時期のヨハネを掲載します。

Bonefanten Museum in Maastricht.
Girolamo da Santacroce , Italiën, 1503-1556

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『受胎告知』 1620年頃 イタリア

8.5 x 8.7cm 額を入れると33 x 33.5cm

17世紀初頭にイタリアの巨匠が描いたと思われる大変上手なデッサンです。

当店で扱ったヴェットの受胎告知と同じ構図で描かれているのが興味深い。

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『貴婦人と犬の肖像画』

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『貴婦人と犬の肖像画』

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リッツホーフ

日の長いオランダの5月、6月の夕暮れ、リッツホーフの出身地であるホールの町の湾、画面端に教会が見えます。

画面端に描かれている嵐雲は、少し前に夏の嵐が過ぎ去ったことを示し、風が無いのに帆を出しているのは、船は濡れた帆を乾かしているところでしょう。

3人の男、身なりからして普通の市民ではなく、船長などの身分の人々と思われますが、蒸し暑い日のために海で泳いだあとだと考えられます。

瞬間をとらえたタッチは印象派に近く、印象派本来のタッチは17世紀のオランダから来ていると考えさせられる作品。

船の絵、海の絵のスペシャリストであるリッツホーフは、作品が市場に出てくることが珍しい作家です。彼の絵は世界のいくつかの美術館と、彼の出身であるホールの美術館で見ることができますが、先日ホールの美術館が盗難に遭い、彼の作品を含めた数多くの絵画が失われたために、さらに稀少なものとなってきています。

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Adriaan Gael II (アドリアン・ハール2世) 17世紀

神殿のイエス

61 x 80 cm (額無し) 82 x 100.5 x 7(額あり)

ハーレムの画家の家系に生まれたアドリアンハールは独特で卓越した技法を持っていましたが若くして亡くなったために世界にはスターリングラードやブタペストにいくつか作品が残っていますが、20点ほどが確認されているのみ。

絵画はユダヤ人の老人に12歳のイエスが説法する場面。立ち並ぶユダヤ人の律法士の中でキリストの隣の男一人が全体の中で若く、この若者が画家の肖像画と考えられています。
彼はレンブラントにとても影響され、肖像画としてあえてレンブラントが被っていたアトリエの帽子と同じものを描いています。
また、別の作品には、レンブラントが被っていた別の帽子を被らせています。
レンブラントの絵を見るためにオランダ中を訪れて研究したのでしょう。

額は17世紀風に作り直したもので。よく作られたものです。

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ドキュメンテーション

 

受胎告知

Wet, Jacob Willemsz

60x47

レンブラントの有名な弟子の一人、ヤーコプ・デ・ヴェットの受胎告知。

描いた当時、ちょうどヴェットはマリアという女性と結婚した頃で、自分の愛する女性を聖書の題材に当てはめて描いたのではないかと考えられる。

売り物ではなく個人的な作品として描いた可能性がある。

柔らかい絵の具も見事に残っている、大変良い状態。

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Hendricksz BOGAERT, 1626 - 1672, Amsterdam

冬の市場 

油彩:パネル 最高の状態  58cm x 53cm

額は17世紀風のもの。

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鶏が屋内におり、野ウサギが取引されていることから、これは冬の市場を描いた絵と考えられます。絵のクオリティは非常に高い。

サインはA Van Ostadeの物が入っていますが、Bogaertのものと学術的に証明されています。

***

Bogaertはとても珍しいマイスターの一人。世には十数点ほどの作品が知られているだけです。

この卓越した技量を持つ画家であるBogaertは、若くして酒の飲みすぎによって亡くなってしまったため、残した作品が少なく、知名度も低く、
現在見つかる彼の絵のほとんどは、オランダ風俗画の巨匠、A Van Ostade、Molenaerなどのサインに書き換えられています。

*もしこの絵がOstadeの作品であったとするならば、非常に高価。しかしながら同等の品質を持つこの絵画はOstadeの作品と比較して、現在お安く値段をつけておりますので、品質の良い17世紀絵画をお探しの方にはぜひ注目していただきたいと考えています。

お買い上げありがとうございます

 

 

19世紀絵画


 

 

Henri Pierre Picou (1824-1895)

『ニンフとファウン』 ピクー 

ピクーは、有名な19世紀パリの古典絵画画家です。何度もローム賞を受賞し、重要な画家として扱われていました。

パリのルクセンブルグ美術館と、オルセー美術館、いずれも19世紀とアールヌーヴォの専門美術館ですが、この両者と、また世界中の多くの美術館で彼の作品を見ることができます。

彼の作品のほとんどは日本でいえば100号、200号などの大変大きなサイズでアカデミー賞クラスの受賞作です。小さな作品はあまり知られていません。その点でこの作品は稀少なものです。

この作品はいわゆるキャビネットワークと呼ばれるもので、彼が美術アカデミーで成功した後に特別な顧客のために描いた作品です。

絵からは強い哲学性を感じますが、こういった絵はほとんど描かれていません。

彼はかの有名なアルフォンス・ムシャの先駆者です。スタイリッシュで理想的な女性像を描きます。

状態は完全で、100%オリジナルです、額もオリジナル、古い画家の名前が書かれたプレートもオリジナルです。

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『農家と納屋』

ヨーレ G.J. van Jole

60 x 75cm

ハーグ派後期の画家ヨーレの作品。オランダ中央の丘陵部、中世風の町が続く地域の農家と納屋を描いたもの。

60x75cmの大きな絵で、見事に書き上げた大作。おそらくヨーレの生涯で最も優れた最高作品であると思われる。

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小さな風景画 アルピニー フランス

バルビゾン派の画家、アンリ・ジョセフ・アルピニーの小さな風景画。お洒落な作品です。

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小さな風景画 ヤコブ・マリス オランダ

12 x 14cm

ハーグ派の画家、マリスの風景画です。

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対になっているヴェネチアの水彩画

才能のある画家が描いたヴェネチアの水彩画、同じ場所から逆の方向を描いた対となっており、左は冬のオフシーズン、右は夏の観光シーズンとなっている。尋常ではない技量です。

絵の状態は大変に良い。

サインはありますが、読めません。画家の名前がわかれば価値が一桁変わるかもしれません。

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ユージェーン・デーブ 『薪ひろい』

中央フランスのルオンの画家、ユージェーン・デーブの作品です。

年に一度ほどパリのサロンへ絵を出展していました。(日本でいう日展)

あまり知られていませんが技術の確かな画家。絵はバルビゾンですが、ロマン派の特徴が強く、繊細、コローの影響も受けています。

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『夏のブーケ』

Louis Pautex 1870年の作品

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Louis PautexまたはLouis Pautex Meillardは水彩と油彩の双方において広く名を知られた画家であった。

1841年5月9日にスイスのジュネーブに生まれ、その生涯のほとんどを当地で過ごした。

ジュネーブ私立芸術大学において、画家Barthhelemy Mennの元で作画の基礎技術を習得。後年、Francois Raymondの元で白磁への彩画を学んだ。

花を対象とした作品に専念したその作風は、Benezit美術家辞典の記帳によると「注目されるべき誠実さである」と称された。

所蔵:

ジュネーブのRath美術館に2作の水彩画、同じくジュネーブにあるAriana博物館にも所蔵あり。

彼によって彩画された磁器は市立装飾芸術博物館に所蔵あり。

彼の上の兄であるMarc(1838年生)もまたMennの元で学び、著名な時計彫刻師となった。

小さいものが多い彼の作品としてはこの作品は非常に大判の絵画である。

非常に良好な状態で保存されていたため、その光沢はあたかも描きたてのように新鮮である。

参考文献:

C. Brun:スイス芸術家辞典 第2版 1908年

Thieme-Becker:美術教育辞典、ライプツィヒ

E.Benezit:美術家辞典 1999年

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2枚の水彩画 明治時代 日本人の画家によるもの。

イギリスのハウスセールで出てきたもの。描かれた時代からイギリスにあり、シールされているので紙が痛んでおらず状態は完璧。

西洋に販売することを強く意識して描かれた絵で、技量も大変高く、日本国内で評価されている画家かどうかはわかりませんが、評価する必要のある画家と思います。

 

コーネリス・キンメル

25x35cm 1860年

 


花と蝶の静物画 ヤン・ファン・デア・ヴァーデン 1811−1872

板に油彩 右下にサイン

22.5x17.5

艶やかに描かれた静物画。17世紀の画風を練習したオランダの画家によるもので、技術は確かなものです。19世紀に描かれた花の静物画としては世界最高峰に近いものです。

オランダで最も有名な画家の紹介書籍に、この絵自体が掲載されていますので価値が安定しています。また、来歴もしっかりしており有名指揮者、20世紀のマエストロの所蔵品でした。

*もう1枚の静物画との対比

ヤン ファン デア ヴァールデン

オランダのハーレムに1811年 8月7日に生まれ ハーレムで1872年6月20日に亡くなる。

生涯をハーレムで過ごし、ハーレムで絵を描いた画家です。

彼は生活の静物画や風景の画家で、ハーレム市の内外に数多くのファンを持っていました。

彼は、当時、非常に富裕な貿易都市で新興の富裕層が多かったロッテルダムにおいて、1832年、1836年、1870年に有名な重要な展示会を開催しました。

ロッテルダムに彼は裕福なパトロンを持っていましたが、当時は北オランダのハーレムの画家の絵を、仲の悪い南オランダの人が買うことはとても珍しかったと言えます。それほど良い画家ということでしょう。

彼は1833年と1839年にハーグで同様の展覧会を開催し、また1831年から1870年までのアムステルダムでの活動も展示しました。

彼は特に、ビーダーマイヤー様式の静物画を描くことで知られており、色使いが贅沢で優美であるということがよく知られています。

また風景画も描いており、特に彼は花の絵が有名ですが、彼の手によるとされる夏と冬の静物画があることが知られています。

彼は生涯でたくさんの絵を売りましたが、現在彼の作品を市場で手に入れることはとても難しく、近年ではこの花の絵の作品の他には一枚出たことが知られているのみです。

どうして出てこないのかわかりませんが、人気があるので手放す人が少ないのであろうと考えられます。例えば、たいていの美術品は、親が集めていても、亡くなったあとに子供がオークションハウスや画廊に持って行って手放すことが多いのですが、ヴァールデンの作品は誰が見てもよく分かる良い作品であるため、手放さないのではないか。

また考えられる可能性は、彼の絵が17世紀の巨匠に近いため、サインを書き換えられて17世紀の巨匠として売られているということもありえます。

この作品は1971年からオランダのプライベートコレクションです。非常に有名な画廊で、画家の百科事典を編集していることで知られているピーター・ステーンで扱われたものです。ステーンに写真があるというだけでも価値がずいぶん上がるのに、この絵は1枚まるまるフルページ使って説明されているのでステーンのお気に入りの画家で、お気に入りの作品だったということでしょう。これはとても評価されるべきことです。

1971年にこの画廊で購入されたという領収書があります。

この絵のオランダの画廊での相場はだいたい36000ユーロ(400万)というところであると考えられます。 

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ヤン・ファン・レイネン

北オランダの小さな村を描いた水彩画。

この地方では多くのハーグ派画家が活躍していました。

彼はロロフの生徒として知られており、彼の絵はデンハーグの博物館とアムステルダムの博物館に所蔵されています。

27 x 46cm 額を含めたサイズ 65 x 74 絵のクオリティは最高クラス、状態は非常に良い。

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鹿の群れの風景画 縦37 斜め53

非常にクオリティの高いオランダ絵画。海沿いの丘の上を歩く鹿の群が大変緻密に描かれています。

額を合うものに作り直しました。非常に良くなったと思います。

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”水辺”

オランダのワンドで漁をする川漁師。遠くには風車が2つ見えており、教会の尖塔も見える。
晴れた日の午後、晴れても真っ青な空にはならない北方ヨーロッパの空、時刻は夕方を過ぎているが日暮れは遠く、風もなく時間が止ったような美しい景色。漁師は網を投げ、小魚が数匹飛んでいる。

アリス・クニッカー

ペンネーム:H.エントリッヒ
1887年8月10日ハーレム生まれ
196210月5日年デンハーグにて没

デンハーグ、ロースダイネン、ニューコープにて活動
1910年よりデンハーグアカデミーに入学
作風が同時代のWeissenbruchに非常に似ていることから、
典型的なハーグ派の画家とされる

水辺や干拓地の風景画を描く

多くの作品が後年サインをWeissenbruchの名に書き換えられ、そのことへの憤りから時としてH.エントリッヒのペンネームを使用した。

この絵画は彼の作品の中でもかなり良い絵である。非常に良い状態で保存されている。額は時代の額。

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『 庭でくつろぐ女性』

アロイス・ヘーニッシュ

キャンバスに油彩

90x150(額無しのサイズ) 額を入れると横幅はだいたい2メートルです。

1895年

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ウィーン分離派の画家、A.ヘーニッシュによる絵画。光が差し込む庭は、10月午後の少し冷たい空気と暖かい日差しを感じさせます。

左の木立の中にテーブルと椅子があり、よく見ると、一仕事終えたあとの女性がくつろいでいるのが見えます。この女性がいるのといないのとでは随分と絵のイメージが変わります。

この庭はミュンヒェンのヘーニッシュ自身の家かもしれません。家はこの当時の流行で、新築です。描かれているのは奥さんでしょう。

洗濯物が干されており、奥さんが一服しているところだと思います。

時刻は午後の16時から16時半で、オーストリアやバイエルンではこの時刻に軽い食事をする、ヤオゼと呼ばれる文化があります。ケーキなどを食べていたのでしょう。

幸せな居心地のよい中庭を見事に描いており、セセッションの大作です。

この画家はクリムトと同じくウィーン分離派の重要な画家で、印象派の一派なのですが、新しいものを生み出そうと、アールヌーボなどから強い影響を受けています。

絵にもそういった主張があり、例えば女性が茶を入れるのに使っているポットは、おそらくこれは竹の柄がついた日本製の急須です。女性の服や髪型もこの時代独特のものですが、光の差し方やテーマも、ずいぶんと今までの時代とは違う、新しい芸術です。

*************

アロイス・ヘーニッシュ
デザイナー・版画家
1866年3月31日ウィーン生まれ 1937年没

工芸学校とアカデミーに学んだ後、ミュンヘンのアカデミーに再度入学

専ら風景画と静物画を手がける
1905年、ミュンヘンよりウィーンに帰国

油絵を手がける一方でスケッチでも生計を立て、中でも注目すべきなのは
1893年〜1908年の間にミュンヘンの分離派展覧会に出展された作品などがある。
1907からはウィーンの分離派展覧会にも出展

1919年の10月〜11月にかけて特別展を開いた

所蔵美術館:

ミュンヘン市立ギャラリー(1902年:風景画)
ウィーン・オーストリア国立ギャラリー
(風景画:1898年と1909年 静物画:1904年と1905年)
ウィーン市立博物館(インテリア:1916年 風景画:1908年 静物画:1917年)
ウィーン・ヘルマン基金ヴェルトハイムシュタイン宮殿(私のアトリエ:1905年)

アルベルティーナ博物館:スケッチ多数

大変重要ではあるが過小評価されている芸術家
ミュンヘンとウィーンの分離派協会メンバー(カール・モル、グスタフ・クリムトと共に)

***

ヘーニッシュと分離派に関する参考資料

    

  

印象派がはじまったのは1870年頃、ジョンキントやモネなどが有名にしましたが、反面、印象派は浅いと思った画家も多くおりました。本格的に絵をやっていた画家にとってみると印象派は手抜きのような、遊びのように思えたのです。『目の悪い人の為の絵』などと呼ばれたこともありました。

今までの巨匠、ルーベンスなどより印象的で人気はあり、1880年頃にはイギリスのカーナーが光の移り変わりなどばかり描いており、ブラシで速いタッチで描き、印象派の評価は上がりましたが、

しかし本格的なタッチで描く必要もあるということで、印象派の反動としてリアリズムが出てきました。

このリアリズムはフォトリアリズムと呼ばれるもので、20世紀後半のフォトリアリズムではなく、当時のリアリズムは、うまれたばかりのカメラに感銘を受けた画家達が考え出したものです。

当時の画家は皆、カメラを持っていました。特にアメリカとフランスの画家はほとんどが持っていました。

1890年代のフォトリアリズムは、この資料を御覧ください。写真と、それを元にした絵画の対比です。



当時はレンズが今ほど良くないので、ピントが合っている部分とあっていない部分の差が大きく、これを研究して描いた絵ですが、ポイントは注目させたい部分を細かく描き、そうでない部分を印象派風にどろっとしたタッチで仕上げたところです。

例えばこのタッチは女性が写真的ですが、前も後ろも印象派に似ています。写真をそっくりに真似たわけではなく、写真のクオリティを見て印象派への反動として取り入れたものです。

フォトリアリズムの画家達は印象派から来た画家ではなく、アカデミー出身のため、基礎の部分は非常に高いレベルがありました。そこでこういった細かい絵が描けたのですが、印象派が出たことにより、荒いタッチで描いた(手を抜いた)部分を入れても世間からは認められるとわかったので、細かい部分と印象派的な技法を混ぜてこういった絵を仕上げました。
印象派に助けられたところもあるということです。

 

このタッチもヘーニッシュと似ており、見せたいものだけが細かく描かれ、他の部分はおおまかに描いています。

こういったモダンアートは第一次大戦頃まで描かれましたが、そのあとは戦争の傷跡が大きく、芸術の方向性が平和などテーマ中心のものとなっていきました。

この時代の絵は市場にはあまり出ることがなく、ほとんどは美術館が持っています。例えばナンシー美術館、フィラデルフィア、ボストン。フランスのオークションに10年ぶりにこういった作品が出ました。レパージュのものは14000ユーロのエステーティメントがついていましたが、50万まであがりま
した。 

 

『ラウターブルンネン谷への入り口、ベルン地方にて』

油彩

21×30cm

19世紀前半

 

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観光の原点

ナポレオン戦争の終焉とウィーン議会開催後の1800年代初頭、ヨーロッパ大陸は再び自由に旅行するのにも安全な状況となった。特にイギリスにおいて旅行者数が増加し、いわゆる「グランド・ツアー」と称する旅行が企画された。

この贅沢な休暇の目的は、ヨーロッパ大陸の歴史的建造物や芸術を賞賛そして学習することにあった。

もっとも人気のあった目的地はイタリアであったが、自然の美しさを愛でるという目的で、他にオーストリアとスイスという両山岳国も含まれた。現代語である「tourism(観光)」は、この時期に流行した「グランド・ツアー」に由来している。

 

このような「観光客」が訪れるようになるまで、オーストリアとスイスの両国民は、アルプスの厳しい自然に対する畏敬の念から、自ら高い山々に立ち入ろうとはしなかった。この地形からもたらされる、なだれ、地滑り、洪水などの災害、加えて今日のスイス鉄道によるアクセスの良さからは想像もつかない道路の未整備なども理由として挙げられる。外国からの訪問者の、高山の風景の自然美、画のような、そして素朴な山の民の生活に対する好奇心を満たすため、スイスは観光立国となるべく山岳部特有の鉄道網を整備することを急いだ。従ってスイスにおける風景画は高山と深く関係している。

 

外国人、特にイギリス人によって19世紀初頭(18001850年)に最初のスイスの山々を描いた風景画が発表された。イギリスの偉大な画家であるターナーは山々を旅し、夥しい数のアルプスの壮麗な自然美を描いた作品を遺した。多くの英国人はこれに倣った。(余談だが、英国人はおよそ70年後、19世紀の終わりにスキースポーツをあみ出した。これらは冬の間に山小屋を使う農民が、木の板を使って雪山を上り下りする時の実用的なテクニックから生み出された。)

 

この小品はとても古いもので、スイス・ベルン地方の近くにあるラウターブルンネン谷の入り口を描写したものである。ラウターブルンネン谷は今日でもなお、スイス観光の最も有名なハイライトのひとつとして多くの観光客を集めている。この作品は、観光業の発展に寄与するために、非常に才能のあるにスイス人によって描かれたという可能性もある。ラウターブルンネン谷を旅したイギリスのヴィクトリア階級の女性が、その体験を元に描かせたものと思われる。恐らく旅の道中で自身と彼女の同行者のポートレートも描かせるつもりだったのだろう。このようなサイズになったのは、イギリスの自宅におみやげとして持ち帰ることを想定していたからと思われる。

このような19世紀の「旅行者」絵画が現存する例は非常にまれで、1800年代初頭にイギリスの貴族や富裕階級が宿泊したホテルから見つかることがある。これらは新しく生み出された「観光業」における最初の「スナップショット」ということになる。上流階級の女性にとってはこのような絵画は金銭的価値を持たないものであったため、それらの多くははホテルの主人におみやげとして渡された。同じくベルン地方はThun湖のほとり、インターラーケン近くにあるGuntenという町に、彼等が宿泊したホテルが現存している。

 

Seehotel Hirschen(In Gunten)

Seehotel Hirschenには絵画が数点あり、それらはこの小品と同じスタイルで確かな歴史のピリオドを刻んでいる。これらの絵画はホテルのホールに掲げられており、全てはイギリスの富裕階級の観光客がホテルのオーナーと未来のゲストたちにプレゼントしたものである。

もう一軒同じようなホテルがあり、日本の大正天皇が1910年代後半に何人かの側近と共に両ホテルに滞在したこともある。後に「深刻な精神の不調からの復帰」の手段としての海外渡航であったことが明らかになった。このことは両ホテルのオーナーと皇室によって認められた事実である。

 パネルの裏面、綺麗にテキストが書き込まれた古いラベルはオリジナルのもの。額とその裏面に取り付けられた金具も共にオリジナルのもの。

 

 

『ピンクをまとう女性』 バンジャマン ウジェーヌ フィシェル 1854年

1826年8月30日パリにて出生、1895年2月2日パリにて没。

1841年、von Delarocheとvon Drollingの生徒として美術学校に入学。

入学後すぐに、自身の生活費を捻出するために舞台俳優専属の絵師となり1847年、Oden-Theaterにてデビュー。

芸術家としての勉強は継続し、1847年にはローマを訪れる。

当初は歴史絵画を手がけようと試みるが、次第にその作風はメッソニエの手がけたような文学的挿絵に変化していく。

1849年以降、自身が没するまでの毎年、Cociete des Arts(サロン)に出展。

ほとんどが小さなカンバスに描かれた日常の何気ない風景であった。例としては、チェスに興じる人や、アトリエの恋人達、劇場のマチネなど。

それらに描かれた慎重かつ上品な技法、無邪気で明るいがそれでいて上品な描写は、またたく間に大衆の支持を得るところとなった。

1857,1869両年、1870年にはレジオン・ドヌール勲章を受け騎士の称号を得る。

婦人であるジャンヌ・ベリエ・オーヴリー(Jeanne Bellier-Auvrey)は彼の生徒であると共に画家でもあった。

世界各国の多数の美術館に所蔵あり。

パリ:リュクサンブール美術館、オルセー美術館
アムステルダム:国立博物館
他にニューヨーク、ミュールハウゼン、カリーニングラード、グルノーブル、リールなど

参考文献:
Thieme-Becker, E. Benezit, Gerald Schurr: Les petits maitre de la peinture.
Valeur de Demain 1820 - 1920

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「Femme et Enfant(女と子ども)」

Armand Berton

1899年作
キャンヴァスへの油彩
35x47センチ
右下に次のようなサインと年代:
Arm. Berton,`99

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その絵は、強烈な家庭的な幸せと親しさの瞬間を描いている。親しげな光がその場面を明るくしている。この家庭的な雰囲気の中で、母親は自分の子どもに手遊び、あるいはおそらく絵を描いたり、文字を書いたりすることを教えている。テーブルの上にはみかんや小さな日本の明治時代の人形がある。

この二つの要素は、その当時のパリにおいて、日本の物が流行っていたことを示している。

実際、アール・ヌーヴォーという言葉は何を意味するわけでもなく、ニュー・アートを意味し、日本のアートを輸入し、展示したSiegfried Bingのギャラリーの名前だった。

これは、パリの市民にとって未知の新しいアートだったし、その後、ギャラリーの名前は「Salon de L`Art Nouveau(アール・ヌーヴォーのサロン)」になった。若い世代の芸術家への日本アートの影響があまりにも大きくなったので、後にその新しい芸術運動全体がアール・ヌーヴォーとして知られるようになった。

この絵は彼にとって重要だったはずである。なぜなら、彼が67才の時、この作品を含め、Salon des Artistes Francaisで展示されたからである(裏面にある古いラベルによれば、1921年)。

そのストレッチャーにはまだ、Bertonが画材を注文していたキャンヴァス・メーカーの、次のようなオリジナルラベルが付いている。(Donnet:des toiles pour tableaux.Paris)

 

Armand Berton

画家であり、版画家。パリにて1854年9月16日生まれ。1927年死去。

Petite Ecole(Ecole des Arts Decoratifs)にて、Laemleinのもとで学ぶ。1875年以降、パリのEcole des Beaux Artsにて、CabanelとYvonsのアトリエで学ぶ。

不幸にも、この時期に突発性難聴にみまわれ、Ecoleで授業を続けることが出来なくなる。その結果、ルーヴル美術館の巨匠たちのコピーを作ることで彼のスタイルを完成させた。

Bertonはまず、肖像画と風景画の展示された1875年のサロンの展示会に参加し、1892年にはサロン・ナショナルの会員になって、そこで1910年から21年までの間、展示した。

フランス政府は定期的に彼の絵画を購入した。

1882年、ジョン・ミルトンの「失楽園」にインスピレーションを受けて描いた「イヴ」を展示。その絵はフランス国家によって買い上げられ、現在はDouaiの美術館に、後の秋のアレゴリー的絵画「Brumaire」という作品と共に掛けられている。

絵画「イヴ」を描くにあたって、Bertonはおそらくトラヴェリング・スカラーシップをもらって、アンティークを勉強するためにイタリアへ赴いた。ボルドーの美術館には「La coppa dell`oblio」(古典主義のBrindisiiのレリーフ彫刻を手本にした)のBertonによるコピーがある。

1884年、フランス政府は「La Fable Moderne Assise sur les Ruines Antiques」(古代の廃墟をモデルにした現代アートの寓話)を購入。

彼はSociete des Artistes Francaisの金賞を受賞。

1900年、Legion of Honeurでナイトの称号を得る。

フランスでは、彼の絵画は、バイユー、Douai、Mulhouse、パリ(Musee de Luxembourgとエリゼー宮に一つ)、ルーアン、ボルドーの美術館にある。

ポーランドでは、SztukiにLwowskaギャラリー美術館に、彼の重要な作品「プシケー」があり、それは、その時代頃に作曲されたセザール・フランクによるオーケストラ作品「プシケー」との何らかな繋がりがあったと見られている。

彼は芸術的にも音楽的にもよい仲間に巡りあった。HalevyやAuber、Gouin、Edmond Blanc、Hector Berliozを含む、有名な晩餐のパーティーにおけるゲストのひとりとして、フランス・グランド・オペラのマイスターMeyerbeerに招待された。

彼の絵や版画は、アール・ヌーヴォーの時代に典型的なものであり、技術的にとても興味深い。典型的な「peintre−graveur」として、L`Estampe Moderneといった、フランス最高のアール・ヌーヴォー・アーティストたちの多くが貢献したオリジナル版画作成の印刷物に参加した。

(例えば、1897年から1898年に作成されたリトグラフ「Riuse」)彼はリトグラフとエッチングあるいはアクアティントを多く作成し、彼の作品は、題材によってだけではなく、スタイルによっても簡単に認識されうる。

サン・フランシスコのファイン・アーツ美術館には、1963年にこの美術館にグラフィック・アートのAchenbach財団によって寄贈された、彼のエッチングのセレクションがある。

Armand Bertonの肖像画

彼の伝記はこのことを話題にしていないのだが、彼は著名な画家Eugene Carriere(1849−1906年)によって影響を受けたと同時に、交友関係にもあったはずだ。Bertonの熟練した作品におけるペインティング方法には、この人物からの影響が見受けられる。
興味深いことに、わずかに知られたArmand Bertonのその肖像画は実際に、Eugene Carriereによって描かれたもので、1891年作である。その作品は現在、クレーヴランド・アート・ミュージアムにある。
(ノアの遺産 L.Butkin1980年)

文献:(省略)

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Christian Tilemann-Petersen 

『ルードヴィヒ ホルベルグの書斎』

59 x 57 cm.
1909
キャンバスに油彩
時代の額

室内画でよく知られているクリスティアン・ティレマン・ペテルゼンが、17世紀のデンマークの歴史作家、ルードヴィヒ ホルベルグ(Ludvig Holberg)の仕事部屋を描いたもので、19世紀ビーダーマイヤー風の室内装飾が描かれています。

19世紀以降の室内画のほとんどはデンマークの画家が描いていますが、そういった室内画の中でもこの絵画は特にクオリティが高く、この絵画はデンマークのクローネボルグの王宮コレクションでした。
特別な絵画としてお勧めさせていただきます。

おそらく糸を使ってきちんと測ったのであろう。鉄製の暖炉の右上を点とした完璧な遠近法で描かれており、色彩も非常に美しく。目が止まったときに隣の部屋を覗いたかのような錯覚さえ与えます。

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この絵画があると、まるで部屋がひとつ増えたかのようだ。→

 

花と果物の静物画

サインの二文字のアルファベットではデンマーク人のカムラートの名前が浮かび上がってくるが、彼の作品よりこちらの花のほうが出来が良いので、違うのではないかとも思える。

油彩:パネル
1844年
34.5cm x 23.5cm(額の中のサイズ)
2004年2月にニスの塗り直し
オリジナルの19世紀の額

ロマン派の美しい作品。鮮やかな花、瑞々しい桃、完璧な技量を持つ非常にクオリティの高い作品です。

額はオリジナルですが、おそらく金の塗り直しがなされています。

この絵に合った金の美しい額を作ることができます。ブリュッセルの額作家によって作成可能。

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干し藁で遊ぶ子供

レ ポワテザン

18x25 cm (額除く)

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Artz, Constant David Ludovic コンスタンツアルツ

あひるの家族 油彩

彼は生涯にたくさんのあひるをモチーフにした絵を描きましたが、この作品は彼の多くの作品とは色彩が異なっており、極めて印象深い作品です。

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***

1870年、パリに生まれる。1951年オランダ没。有名画家である、ダヴィッド・ア
ドルフ・コンスタント・アーツの息子。オランダ、ハグのロイヤルアカデミーで学ぶ。
そこで、著名な画家である、H.W.Mesdagに師事。大変緻密で繊細な絵を描くことで知られているが、さらに水辺のあひると、あひるの家族の印象派絵画で知られている。20世紀前半で、もっとも有名な画家のひとり。

お買い上げありがとうございます。

 

LEVIS Maurice  モーリス・レヴィ (11/11/ 1860 - 1940) パリ

夏の池、セーヌの流れの傍で

油彩:カンバス 24 x 31cm(カンバスのサイズ) 

描かれた時期からともに所蔵されていた美しい金の額、左下にサイン

***

この優れた、著名なパリの風景および水彩画家は、アルピニー(バルビゾン)、ジュール・ルフェーブルとP.ビレの生徒でした。

1888年以降フランスで有名なサロンの会員になり、定期的に彼の作品が展示されていました。

1895年に栄誉ある賞を受賞し、1896年には銅メダル、1927年には金メダルを獲得しています。また、英国と合衆国でも成功を収め、両国で多数の作品が売れました。

ヨーロッパではZallose博物館、また合衆国の博物館にも彼の作品が収められています。 

この絵では、バルビゾンの学校で付き合いの深かった画家の影響が強く出ています。この夏の逆光に照らされた、小さな川のある風景は、非常に緻密に描かれ、彼の他の風景画と比べても、大変繊細です。

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文献:

** Thieme Becker: Allgemeines Lexicon der Bildenden Küstler von der Antike bis zur Gegenwart
**E. Benezit: Dictionaire des Peintres, Sculpteurs, Dessinateurs et Graveurs.

 

Willem Roelofs ヴィレム ロロフ (1822-1897)

アムステルダムに生まれ、ユトレヒトで幼年時代を過ごし、その後、ドイツで学びます。ハーグ、ブリュッセル、バルビゾン近郊、イギリスと活動拠点を変え、最後にはハーグとブリュッセルへ戻っています。

作風は、ロマン派からバルビゾン派、後には印象派へと移り変わる、いわゆるハーグ派と呼ばれる画風。
しかし彼は長くバルビゾンの近郊で活動し、特にバルビゾンの影響が強い画家であります。

暗い森の中に差し込む光を上手く表現した作品、ディアズの森の薪拾い女の絵と共通点があります。

この作品は、高価なアカシアの木で作った板に描かれており、彼はこのアカシアの木を好んで使いました。

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お買い上げありがとうございます。

 

 

Leo Frederic Coulon 1830-1891

「城のほとりのノロジカと鹿」

キャンバスに描かれた油彩
31cmx20cm
左下にサイン
新しい金の額縁

優れた水彩画家として、特にフランスの中央部で有名だった、コルンの作品は、1864年から1880年にかけてパリのBeaux Arts のサロンに展示されていました。
風景画を得意とし、フランスやイタリアの風景を好んで描きました。

1891年には、トゥールーズで大きな個展を開いています。彼のそれほど大きくない油彩画は、バルビゾン派の画家、とりわけディアツ・ド・ラ・ペニャやコローの影響を表しています。彼の場合、水彩画が特に良く、明度と技術はイギリスの水彩画の巨匠に見られるようなものを持っています。

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お買いあげありがとうございます

 

『池のかたわらの二頭の牛』

Anton Mauve アントンモーヴ

20x25cm

オランダの風景画家、ハーグ派の巨匠として知られており、彼の作品は世界中の美術館で見ることができます。

日本のように塾に入るような師弟関係ではありませんが、ゴッホは当時から有名な絵描きであったモーヴに何度も デッサンや手紙を数年に渡って送り、返事をもらうことで技法を学んでいました。

近年、彼の名前は、特にゴッホの師匠であったと知られてから有名になりました。

この牛の絵は、彼の作品でも初期の作品で、タッチは印象派よりはロマン派に近く、珍しい作品です。

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お買い上げありがとうございます。

 

マイヤー ヤコブ
1798(ロッテルダム)- 1884

「庭で飼い犬とたわむれる少女の肖像」
1894年
油彩、パネル
20,5 x 26 cm
左中央に、J. de Meijer Ft 1849の記載
同時代のビーダーマイヤーの額
オランダの個人コレクションであった作品

ヤコブ・デ・マイヤーは、J. ヴァン・ストゥリーの生徒であり、また有名なギリス・デ・マイヤーの兄弟でもあります。彼は、風景画家、肖像画家であり、また絵画の教師でもありました。早くからその才能が認められ、わずか15歳で、1813年のアムステルダムの展覧会で成功を収めます。

シーダムの市立近代美術館には、1845年に描かれた男性の肖像画が収められています。

この絵の中では、この時代をよく表したドレスをまとった少女と犬の親密さ、また、マイヤーが彼女を描く間、犬を静めておくために撫でている、彼女の左手がうまく表現されています。

文献:
** Wurzbach
** Immerzeel
** Scheen, 1946
** Pieter A. Scheen: Lexicon Nederlandse Beeldende Kunstenaars 1750 - 
1880 (1981)

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お買い上げありがとうございます。

 

ジョン・エドモンド・ニーマン senior
Islington(GB)1813-1876Brixton(GB)

「鱒を捕る漁師」

1846年
キャンバスによる油彩画
68x82cm
”Niemann 1846”と記載
美しい金の額縁

ニーマンは、元はドイツ出身のイギリスの風景画家、水彩画家です。1844年以降の王立アカデミーで大成功を収め、大きく前進します。彼の作品は、ブラックバーン、ブリストル、グラスゴー、ケープタウン、リヴァプールとロンドンの博物館、ヴィクトリア&アルベルト博物館、またマンチェスターとノッティンガムの博物館でも見ることが出来ます。彼の油彩の画法は、印象派への移行の先端を行っています。

この「鱒を捕る漁師」の、新鮮で盛上げ塗りのスタイルは、ターナーによって生み出されました。

文献:

・E. Benezit: Dctionnaire des Peintres, Sculpteurs, Dessinateurs et Graveurs
・Thieme - Becker: Allgemeines Lexicon der Bildenden Kuenstler von der Antike bis zur Gegenwart
・J. Mass: Victorian Painters
・C. Wood: The Dictionary of Victorian Painters

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お買い上げありがとうございます。

*数年前にオークションに出品されていた印象派大巨匠、クールベ、ギュスターヴ(Gustave Courbet)の作品は、完全にこのニーマンの「鱒を捕る漁師」を写したものでした。博物館の展覧会でも使えるような大発見です。この絵画はジュネーブで掘り出されたもので、同じくジュネーブで活動していたクールベの手元にあった可能性が高いです。

 

Angelika Kauffmann 
Erwachung von Eros Lirthographie Diameter 30 cm

「愛の神の目覚め」 1830年頃

アンジェリカ・カウフマン 直径30cm

非常に貴重なもので、イギリスで製作されたもの、ガラスから一度も出しておりませんので高級リトグラフか、メゾティンクかははっきりしませんが。いずれにしても出版のための量産したものではなく、絵のコレクターが自分や友人のために受注したものでしょう。絵の下の丸い輪に製作者の名前などが記載されています。

額もオリジナルの時代物で、入っているガラスはソーダガラスです。

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お買い上げありがとうございます。

 

Coulon Paul Frederic Leo
08.04.1830 Castres (tarn),France - z. 1891

「プロヴァンスの洗濯女」

コルン・パウル・フレデリック・レオ
1830年4月8日-1891年

水彩による細密画
9x13cm
新しい金の額縁

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以下、小さながちょう番の娘と同文

お買い上げありがとうございます。

 

H.Simone 薪拾い女

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お買い上げありがとうございます。

 

Diaz de la Pena: 

ディアズ・ド・ラ・ペニャ 

「森の薪拾い女」 26.5x20.5 cm

ディアズ・ド・ラ・ペニャは、フランス,バルビゾン派の影響力の強い画家として有名です。初期は、ロマン主義者として活躍し、ドラクロアやヴィクトル・ヒューゴーなどの影響を受け、後に、森を描く風景画家として世界的に有名になります。

「森の薪拾い女」では、フォンテンブローの森の開けた場所に、藪を抜けて一筋の太陽の光が差し込み、薪拾いの一行を照らしています。樹の幹の樹皮は,きらめく宝石のように輝やきを放っています。

ディアズは、激動にあって世間の名声を勝ち得ました。画家として彼は、いつも周囲に左右されず、モンティチェリ、大の友人でもあるファンタン ラトゥール、更にルノーに大きな影響を与えました。また、フェリックス・ツィームもディアズから多大な影響を受けた一人です。彼は、最初の前印象派画家でした。

多くの世界の大きな美術館が彼の作品を所有しています。:リェクス美術館(アムステルダム)、メスダグ美術館(デンハーグ)、グレノーブル、ルーブル、ロウエン、ナンシー、トウロウス、モスクワ(トゥレティアコフ)、ベルリン、ダンツィヒ、バーデンバーデン、ミュンヒェン、ロンドン、ウォールスコレクション、ロンドン ヴィクトリア アルバート美術館、シカゴ美術研究所、ヘルシンキ・アテナウム美術館、ブルックリン研究所、他多くの日本の美術館

この絵は、卓越した彼の技量の非常に典型的な一例と言えるでしょう。

プロヴァンス:
個人コレクション スイス
個人コレクション オランダ

金の額縁の状態も非常に素晴らしいです。

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QUINTARD Lucien Charles Justin 
1849 - 1905 
Nancy, ( Meurthe et Moselle) France

リュシアン・シャルル・ジュスタン・カンタール

1849−1905, ナンシー(ムルト・エ・モーゼル), フランス

「川で洗濯をする女達」油彩画 キャンバス 45 x 63,5 cm, 美しい金の額縁
(新しいもの)

リュシアン・シャルル・ジュスタン・カンタール

エミール・ガレやヴィクト・プルーヴェらとともに、この時期現れた、優れた東フランスの印象派の画家です。彼は、画家エドモン・プティジャンの生徒で、彼はナンシーとその周辺の2つの河の町、ムルテとモーゼルの風景をよく描きましたが、この絵はその一例です。

彼の作品はグレノーブルの博物館と、ナンシー、トウルの博物館にあります。

資料 :
**Thieme Becker: Allgemeines Lexicon der Bildenden Künstler von de Antike bis zur Gegenwart

** E. Benezit, Dictionaire des Peintres, sculpteurs Dessinateurs et Graveurs.

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リチャード・チチェスター・ブックナー
1800-1879, ロンドン

「小さなたまご泥棒」(小さなジプシーの少年)
パネル版油彩画 22,5cm x 18cm
額:オランダの17世紀のスタイルのマホガニー

肖像画を得意とした、リチャード・チチェスターは、1820年から40年代にかけて、ローマーの著名人と交わり、多くの肖像画を依頼されていました。

また、イタリアのアブルジ地方に惹かれ、農民やジプシーを描き、、そこで数々の名作を生んでいます。

その後、ロンドンに渡り、肖像画を多数描きました。1842年から77年にかけて、作品をローヤルアカデミーに出品、1873年、77年には、彼一人の作品を対象としたオークションが開かれるなど、生前から高く評価されていました。

彼の作品は、大英博物館に数点と、野村コレクション 京都/東京に、"ジプシーの少女"があります。

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お買い上げありがとうございます

 

Coulon Paul Frederic Leo
08.04.1830 Castres (tarn),France - z. 1891

小さながちょう番の娘

ポウル・フレデリック・レオ・コルン

水彩画 23,5 x 31cm
新しい金の額

優れた水彩画家として、特にフランスの中央部で有名だった、コルンの作品は、1864年から1880年にかけてパリのBeaux Arts のサロンに展示されていました。
風景画を得意とし、フランスやイタリアの風景を好んで描きました。

1891年には、トゥールーズで大きな個展を開いています。彼のそれほど大きくない油彩画は、バルビゾン派の画家、とりわけディアツ・ド・ラ・ペニャやコローの影響を表しています。彼の場合、水彩画が特に良く、明度と技術はイギリスの水彩画の巨匠に見られるようなものを持っています。

のどかな風景をバックにした、がちょう番の娘や洗濯をする女達のテーマは、とても愛情に満ち、田舎の生活の、象徴的で理想的な純粋さと清廉さがあります。
(農家の生活と、汚染や産業都市との対比が、バルビゾン派の画家達のもっとも理想とするところでした。)

この作品は、コルンの水彩画芸術の美しい一例です。

お買い上げありがとうございます

 

Coulon Paul Frederic Leo 
08/04/1830 Castres (Tarn) France - z. 1891

Die Schweinhirtin

「豚を飼う娘」

ポウル・フレデリック・レオ・コルン
22 x 30 cm
額:新しい金の額

豚飼いは、バルビゾンの芸術家(シャルル・ジャクー)などによって、たびたび
描かれているテーマです。

文献:Thieme Becker: Allgemeines Lexicon der Bildenden Kuenstler von
der Antike bis zur Gegenwart
Bellier / Auvray: Dictionaire Generale et Supplement Dioskuren, 1865.
E. Benezit: Dictionnaire des Peintres, Sculpteurs, Dessinateurs et
Graveurs

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お買い上げありがとうございます。

 

ポウル・フレデリック・レオ・コルン

Coulon Paul Frederic Leo
08.04.1830 Castres (tarn),France - z. 1891

「洗濯をする女達」
キャンバス地に描かれた油彩
22 x 30cm
新しい金の額縁

コルンの説明は、「小さいがちょう番の娘」を参照

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お買い上げありがとうございます。

 

 

Emil LÖWENTHAL ( D ) 1846, Italienisches Hirtenmädchen 64 x 53 Ölbild 

エミール・レーヴェンタール
1835−1896

ドイツ人のポートレート、風俗、歴史画家

「若きローマの牧人」

優れた風俗画家として知られるレーヴェンタールは、まずベルリンのシュテフェックで、後にウィーンのフューリッヒの学校で学びます。またヴェネチアとローマにも留学しています。そして、長期に渡り、イタリア、とりわけローマで活動しました。

その間、ローマ在住のドイツ人画家、ナッツァレナー・グルッペの影響を受けます。1860年から1884年には、彼の作品がベルリーナアカデミーに展示されていました。彼の作品は、フィレンツェのパラッツォ ピティに自画像が、またローマのアカデミーにもあります。

この絵は、特に繊細に描かれており、また保存状態が完璧です。彼の作品が市場
に出回ることは大変稀なことです。

文献:

・Thieme Becker:Allgemeines Lexicon der Bildenden Kuenstler von der
Antike bis zur Gegenwart
・E Benezit:Dictionaire des Peintres, Sculpteurs, Dessinateurs et
Graveurs

拡大画像→ ハロゲンライト

拡大画像→ 自然光

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お買い上げありがとうございます。

 

 

オランダの冬景色 油彩 19 x 28cm

Jan Grootveld, David, Geerling

1821年アムステルダムに生まれる。1890年アルクマー(オランダ)にて没。

とても素晴らしい初期のオランダロマンス派画家です。彼の小さいサイズの冬景色は、常にとても高いレベルですが、それらはあまり世の中に数が出ておらず、手に入れることは非常に難しいです。

また大抵はサインが入っておらず、サインが入っていたとしても、モノグラムのみです。

彼はアムステルダムに住み、そこで制作活動を行いますが、(1865,1868年にはユトリヒトにいました。)アムステルダムのVolksvlijt宮殿の装飾画家主任(アーツ&クラフトの宮殿)。

1868年からアムステルダムのローヤルアカデミーのメンバーとなります。

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あひるの家族 油彩 17,5cm x 23,5 cm

Artz, Constant David Ludovic

1870年、パリに生まれる。1951年オランダ没。有名画家である、ダヴィッド・ア
ドルフ・コンスタント・アーツの息子。オランダ、ハグのロイヤルアカデミーで学ぶ。
そこで、著名な画家である、H.W.Mesdagに師事。大変緻密で繊細な絵を描くことで知られているが、さらに水辺のあひると、あひるの家族の印象派絵画で知られている。20世紀前半で、もっとも有名な画家のひとり。

彼の絵は、常に小さなサイズであり、非常にコレクション向きです。

この作品は、彼の絵としては典型的な作品ですし、非常にオリジナルの状態をよく留めています。
オリジナル額。

由来:カナダの個人コレクション

最初の所有者は、1930年代に結婚祝いとして受け取り、この人々が戦前カナダに移住し、代々その子へと伝え、その子孫によって、現在売りに出されています。

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お買い上げありがとうございます。

 

20世紀絵画


 

 


バロック楽器の静物画 80x60cm 額無しのサイズ W A Leeuwen 1937年

完璧な技術で描かれた非常に美しい静物画です。
リュート、バイオリン、弓、クラリネット 楽譜、音叉、ミロのビーナス、カーテン、テーブルクロスの完璧な美しさをご覧下さい。
バロック楽器をテーマにしており描かれたのは20世紀前半ですが、描かれているバイオリンは20世紀初頭のもの、レーマグラスは1900年頃のものなど、時代をアピールしており、画家の主張とプライドが感じられる面白い作品となっています。

Leeuwenは1901年生まれの画家で、絵画の修復師を生業としていました。仕事で17世紀や19世紀の素晴らしい静物画を修復する間に高い技量を身につけたのだと思います。
絵は19世紀の最高峰の静物画のテクニックを上手く模倣したもので、制作された年代からしても、抽象絵画の反動として生まれた超写実主義に属する絵画でしょう。

今年、おそらく遺族がアトリエを整理したのか、彼の絵画が20点ほど世に出ました。この作品はその中でも最も上手に描かれた作品で、おそらく彼が生涯で描いた最高傑作ではないかと思います。

Leeuwenはオランダの画家のバイオグラフィーをまとめた書籍、通称Scheenに名前が記載されており、素晴らしいことに写真付きで紹介されています。写真付きで紹介されている画家は一部に限られるため、高い評価をされていると言えます。

額は17世紀風に黒いものに変えても良いと思いますし、ちょうどこういった白い額を使った時代のオリジナルのままですので、白いまま飾っても良いと思います。

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静物画と実物を比較してみました。照明も工夫してみました。

 

『キリストの降誕』 

スイス 20世紀初頭

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スイスでキリストが誕生している面白いモチーフです。

アルプスの山の上に輝いているのは導きの星で、星の他に画面上には描かれていない月が別の方向から照らしています。明るく晴れた12月のスイスの夜の雰囲気が上手く出ています。