作文大会 第一回 5月25日
”私がアンティークコレクションを始めたきっかけ”

文章のスタイルがそれぞれ違い、甲乙つけ難かったのですが、今回は、TORAZOM 様の投稿を、一番とさせていただきます。

また、何名かの方の投稿を掲載させていただくことにしました。

次回もよろしくお願いします!


◆TORAZOM 様

ヒトゲノムの全解読完了が目前となった最近は、育ちより氏、環境より遺伝、病
気になるのも性格が悪いのも(?)何でもかんでもDNAのためというのが流行で
すが、育った環境というものを全く無視できるものでしょうか?自分に新生児を
何人か与えてくれれば、聖人にでも犯罪者にでも望むように育ててみせると言っ
た心理学者がいたのを思い出します。

私は家庭の都合で小学校の低学年の数年間、祖父母の家から学校に通いました。
春夏冬の休みには、祖父母と別れ、県内の別の町で両親と過ごしましたが、学校
がある間は、祖父母と私の三人で暮らしていました。祖父は小さな古物商を営ん
でおり、そこに集まる品は美術品と言うには程遠いシロモノばかりでしたが、私
は生まれた時から祖父の家のすぐ近くに住んでいたので、物心がつく以前から昔
のものを見慣れて育ったのは確かなようです。

二人ともとうに鬼籍に入りましたが、祖父母は二人とも19世紀末の生まれでし
た。彼らの若い頃の流行だったのかも知れませんが、来客用の食器棚には、アー
ルヌボー風のコーヒーセットが置いてありました。まあ、明治生まれの夫婦のと
ころに来る客も同年輩の人達が多いわけで、コーヒーなんて誰も飲むはずがな
く、そのセットが使われたところは一度も見た記憶はありません。祖父は、鑑定
書付きだと自慢していた勝海舟の書、あるいはソ連で発掘されたマンモスの牙か
ら作った人形とか、収集物は互いに関連性のないようなものでしたが、そのよう
なちょっと珍しいものを余裕のある時に少しづつ買っては、たまに取り出して見
て楽しんでいたようでした。今にして思えば、幼かった私はそれに影響されたの
だと思います。

祖父は二十歳前に父親と折り合いが悪かったために実家を飛び出し軍隊に入り、
大正時代という日本が比較的落ち着いていた数年の間朝鮮半島にいたそうです。
除隊後は警察に勤めたのですが、当時の警察や役所の昇進試験というもは孟子・
孔子を抜きにしてはありえなかったそうで、若い頃もっと学問をしておくんだっ
たと悔やみながら、論語を読んだのだそうです。その注釈書が祖父の書棚にあり
ました。祖母がよく「おじいちゃんはこの本で一生懸命勉強したんだから」と私
に言って聞かせたものです。その後は、だからお前も・・・と説教になってゆく
ので閉口しましたが。明治の本で、解説も文語文ですから小学生には到底歯の立
つものではありませんでしたが、何度か開いて見たことはあります。伯父達が若
い頃読んだ本も書棚に並んでいました。大正年間に出版された徒然草の注釈書
を、高校一年の夏休みに宿題に出たためもあるのですが、全部眼を通しました。
余白に伯父の書き込みがあって、それが旧仮名使いでしたから、時間の流れとい
うのものを強く感じました。それから、幼稚園の頃、先生が読んでくれた本が面
白くて、その背表紙に岩波のマークが着いていたのが眼に止まり、あ、あの印の
本ならおじいちゃんのうちにあったと5歳の私は思い付いて、書棚の岩波書店の
本を何冊もひっくり返してみましたが、当然ながらどこにもその面白かったお話
を見つけることはできませんでした。

小学校何年生の時の出来事か忘れてしまいましたが、夏の夕方だったというのは
憶えています。物置きに置いてあるがらくたをいじっていると古い手帳を見つけ
たのですが、それは私の生まれた年のものであるということに気付きました。ど
の手帳も表紙をめくるとカレンダーがありますが、ふと自分の誕生日のところに
眼が止まりました。3月1日、日曜日。そうか、ぼくは日曜日に生まれたのか、
と、まあこれだけのことですが、タイムマシンにでも乗ったような不思議な感覚
でした。

現在の私は、アンティークのコレクションをしているのだという自覚はありませ
ん。三十を過ぎて生活に少し余裕が出来てから好きで買ったものが、古い食器や
書籍であるので、自然に少しづつたまってきた、というだけでのことです。コン
ピュータまで、実用にはならないヴィンテージマシンといわれるものが好きにな
ってしまいました。何か一台買うと、その一世代前のOSはどんな感じで、どうい
うマシンで動いていたかというのが気になって仕方がなくなります。本で読むだ
けでは物足りないので、実物に触れたくなります。

陶磁器に興味を持ったら、博物館や美術館でいいものを数多く見るのが大切なこ
とであると多くの人が力説し、私も全くその通りだとは思うのですが、言うまで
もなく、展示品は手で触れて重さや表面の質感を感じ、いろいろな角度から光を
当ててながめるということができません。多くの場合、裏も見えませんし。絵画
と違って陶磁器はあまり神経質になることもないのじゃないかと思いますが、照
明もかなり抑えてあるところが多いようです。昔の日本家屋は暗かったので、そ
ういう仄かな光の下で見ていたのは分るのですが。それよりも、例えば京都の新
門前の骨董通りで、手が届く時もそうでない時もありますが、店主に頼んで触ら
せてもらうのが私は大好きです。大抵の場合、値段を聞いたらサヨウナラになり
ますが。

コレクションとは、狭く深く探究するのでしょうし、このジャンルのこれがない
ということになれば、見つかるまで探し続けるという努力をするのでしょうが、
私にはそういう情熱は欠けています。自分の好きなものを身の回りに置いて、た
まに取り出して手にとって眺める。そういう祖父の姿が刷り込まれて、自分が成
人した後は同じことをしているのだと思います。子どもは、親がエネルギーを傾
けてやっていることを自然とすばらしいことだと思うようになるのではないでし
ょうか。しかし、これも環境のなせる業ではなく、古いものを好むDNAを私が受
け継いだということのなるのかも知れませんが。


◆薔薇の名前 様

あれは忘れられない出来事でした。
お稽古ごとの帰り道、なにげなくアンティーク家具屋さんに寄り道してしまっ
たんです。
そのアンティークショップは大きくて暗い、絵に描いたようなアンティーク
ショップでした。洞窟のような広い店内には、古くて、大きくて、おどろおど
ろしい彫刻の付いた家具が積み重ねられて置いてあり、お店の中を歩くことも
ままならない、そんな状態でした。小さい頃から物置きの探検は大好きです。
やっと通れるような隙間を抜けながら、すっかり私は子供の頃の自分に戻って
いました。
その頃の私は、生まれてこのかた中古品を買ったことが無く、人の使ってい
た物を使った経験は親戚のお下がりの服を着たことがある程度でした。
子供の時から家具や道具、建具の意匠に興味があり、アンティーク家具の贅沢
な材料の使い方や、手の込んだ彫刻に目を奪われました。”こんな物が家に
あったらコワイ夢見そう”とか、”こんな物を買ったら呪われちゃいそう”な
どどタワケたことを考えながら、ゴシック様式の大きな食器棚の脇をすり抜け
た時、お店の隅に置き忘れられたように置かれた小さなペイントのステンドグ
ラスを見つけました。
運命の出会いです。
子供の頃から光物(?)は大好きです。もちろんガラスの輝きだって、カラ
スに負けないくらい好きでした。よいしょと持ち上げると(小さくても結構重
いものです)淡い色彩のガラスの組み合わせの中で、一人の少女がこちらを見
ています。ピンク、黄色、水色の淡い色合いの、そして歪んだガラスはかなり
古い物のようでした。そして少女の顔も古い(年を取っているわけではない)
タイプの絵柄です。
彼女の周りに書き込まれているエナメルの植物の絵柄も古いモチーフです。
そしてそれらが一体となって、独特の雰囲気を醸し出しているのでした。
”魅入られた”という表現がきっとぴったりするのでしょう。
私はその場から動けなくなりました。自分の中で時間が止まってしまったよう
な錯覚に陥りました。
お店の人に声をかけられて我に返った私は、そのステンドグラスを元の場所に
戻すこともできず、ただただ立ち尽くすのみでした。
無け無しの勇気を振り絞り、しわがれた声でやっと聞いたそのステンドグラス
のお値段は、当時の私にはびっくりするほどのものでした。
”本物のビクトリアンだからね”そういわれたものの、この小さなガラス窓が
そんな値段だなんて。
そして、どこのお家で使われていたか解らないようなものが欲しいなんて。
自分で自分の感情が理解できませんでした。
その時はそのまま家に帰ったものの、どうしても彼女のことが忘れられませ
ん。それから結局3ヶ月近く、毎週のようにそのお店に通い詰めて、やっとの
ことでそのステンドグラスを自分のものにしたのでした。
我が家にやってきたステンドグラスは、朝日を浴びて美しく輝き、その中の
少女は淡い色彩の中から私に何か語りかけてくるような気がします。
晴れた日は元気に、曇りや雨の日はやさしげに。
言ってしまえば何の役にもたたないものなのですが、彼女は見ているだけで
私を幸せな気持ちにしてくれます。その時、私は自分の部屋のステンドグラス
を通し、大気圏と太陽を自分のものにしたのでした。この美しい肖像画と一緒
に。
時は過ぎ、一線を越えてしまったその後の私は、アンティークという分野に
こだわりがなくなるばかりか、アンティークでないと満足できないという困っ
た状況に陥っています。物の無い時代に精一杯の努力で作られ、大切に使わ
れ、また、いろんな環境を乗り越えてきたであろうアンティークは、通り過ぎ
てきた時代や人々の思い、そしてその物の持つ強運と人を引き付けて放さない
魅力に満ちて、日々私を迷わすのです。
迷わされて”幸せ”と感じるこの幸せとない交ぜになったちょっと苦い想い。
それは生きること自体が戦いだった昔の暮らしに想いを巡らせてしまうから。
お気に入りのアンティークを手に入れ、身近に置いて眺めたり、使ったりする
時の満足感は抗いがたいものがあります。
多分2回と出会えないであろう逸品と出会い、それを手にする幸福感はアン
ティーク好きの人にしか解らないものなのかも知れません。(たとえそれが、
どんなに一般的に価値の無い物であっても)
そして手に入れたものをきっかけに、多次元的に広がる自分の中の世界を、そ
れをきっかけにどんどん深まる知識と興味を、アンティーク好きは愛している
のだと思います。
こんな出会いを通じ、どっぷりとアンティークの魅力にはまりこんでしまっ
た私は、多岐にわたっていろんなものを手に入れています。知れば知るほど興
味は尽きません。しかしなお、私のアンティークの原点であるこのペイントス
テンドグラスは出会った時の輝きの変わらぬまま、なお一層のアンティークの
深い森に私を誘うのです。


◆ぷりりん 様  http://www.xt.sakura.ne.jp/~tomeian/

私はいま主にローゼンタールのアールデコ期に作られたフィギュア
(磁器人形)を中心に、アールデコ調、オリエンタル調の陶磁器を
集めています。

現在アメリカのカリフォルニアに住んでいますが、アンティークに
本格的に目覚めたのはこちらに来てからです。
ローゼンタール・フィギュアとの出会いは、本当に「一目惚れ」でした。

こちらに来た当時、もともとアンティークには興味があったので、
あちこちのアンティークショーや蚤の市に出かけていたのですが、
最初はマイセンの東洋柄に惹かれていて、フィギュアにはあまり
関心がありませんでした。 
私の中では「フィギュア=マイセンのロココ調=すご〜く高い=
問題外」という思い込みがあったのです。
ロココの華美でぴらぴらした感じは苦手だし、かといってリヤドロの
ようなファンシーで乙女チックな感じも駄目でしたし。 

ところが、サンフランシスコのアンティークショーで、ふと目に
留まったフィギュアが、ローゼンタールの「Oriental Dancer」という
作品だったのです。 
彼女と私との距離は5m以上あったと思うのですが、ショーケースの
中の彼女を目にした瞬間とにかく「これこそ私の求めているものだ!」
という衝撃がありました。

彼女はトルコ風の衣装をつけて、両手を高く掲げて踊っている一瞬の
姿でしたが、遠目からでも、そのポーズの美しさ、妖しさ、造形の
なめらかさが感じられ、まるでそこからオーラが出ているかのようでした。 
こんなモダンなフィギュアもアリなんだ!ぴらぴらやファンシーだけ
じゃなかったのだ! とえらく感動してしまったのです。

とにかく、ツツーと吸い寄せられるようにその店のブースに入り
値段を聞いたのですが、ドルで4桁のお値段! 今までそんな大金を
アンティークに使ったことはなかったので、大きな未練を残しながらも
一旦はあきらめてすごすご帰ったのですが、それからの毎日は後悔の
連続でした。
そしてその次のショーに行った時、そのお店もブースを出していました。
「もしかしたら…」とドキドキしながら近づくと、何とまだ彼女は
そこに妖しい美しさをたたえて残っています!
再度彼女のお値段を聞いた時、店主のおじさんは私のことを覚えていて
くれました。そして告げられたお値段はドル3桁。前回より大幅に
安くしてくれたのです。
そして「これも買ってくれたら、もっと値引きできるよ。」と薦めて
くれたのが、小さな犬ともドラゴンともつかない、形がユニークで、
色彩のとても鮮やかな小さなフィギュアでした。
(Kosmosさんのページで紹介していただいた「ドラッヘンフント」です。)
これも一目で気に入り、大喜びで小切手にサインしたことはもちろんです。

それ以来、ローゼンタールを中心に、アールデコ・フィギュアや食器など
を追い求めています。

フィギュアの良さは360度どの角度から見ても楽しめること。
造形の妙が創り出す陰影や、見る角度によっての表情の変化など、
見飽きることがありません。
ことにアールデコ期のフィギュアは、エキゾチックなモティーフ、
思い切ったデフォルメによる面の美しさ、シャープな陰影の
コントラスト、斬新な色使いなど、私が今まで知らなかった
美しさを教えてくれます。