Nymphenburg (1747-Heute)

-ニンフェンブルク 1747年から今日まで-

 

ニンフェンブルク製作所は、1747年に既にバイエルンのクアフュルステン・マックスVヨーゼフの援助の下に創立されていました。

しかし、磁器製作所として、いよいよ成功を治めたのは、1753年以降のことで、グラフェン・シグムントゥ・フォン・ハイムハオゼンの管理の下、間もなく大きな発展を遂げることになります。

その頃製作所はまだノイデック(ミュンヒェン)にありましたが、のち1761年始めに、ニンフェンブルク城の円塔に移り、今日もなおそこで磁器が作られています。

 

当時の製作所にとっては、花絵画家ヨーゼフ・ツェヒンガーの働きと(写真Nr.0)、天才的とうたわれたフランツ・アントン・ブステリの存在が、大きな意味を持っています。

1754年から1763年、ブステリが亡くなる年まで、-彼はまだ40代の若さで他界しました-彼はニンフェンブルクのためにもっとも美しく、芸術的な優れたロココ調のフィギュアを創り出しましたが、彼の150余りのモデルのうち、16体のイタリアンコメディアンは、もっとも有名で人気があります。(写真Nr.1-3)

 

ブステリの死後、強い擬古典主義を印象づけ、素晴らしい出来栄えを誇っていたボヘミア人、ドミニクス・アオリッツェクが彼の後継者となります。(写真Nr.4)

 

クアフュルステンの死後、所有者がバイエルンのクアヴュルデン・アン・カール・テオドーア・フォン・デア・ファルツへと変わります。

彼のフランケンタール製作所が、フランス人の所有から開放された後、フランケンタールから何人かの芸術家がニンフェンブルクにやってきます。

その中でももっとも著名なのは、以前にはヘーヒストでも勤めていたモデルの製作者ペーター・メルヒオール(写真Nr.5)でしょう。

 

ニンフェンブルクの、19世紀における最初の10年の製作は、強い擬古典主義として特徴づけられています。

 

1848年以降、一時、製作所は衰退してしまいますが、19世紀の終わりごろ、ペヒターズ・アルベルト・ボイメルが見事な手腕によって経営を行った結果、再び、経済的に向上することができました。

 

この時期には芸術的にもその発展が目覚しく、グラドゥル、ヴァッカーレ、ケルナーなどの芸術家を伴ったユーゲントシュティル時代のニンフェンブルクは、その時期のマイセンやKPMベルリンにも匹敵すると言われています。               


by MAOMAO

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Nr.0 Teller 18.Jh

 

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Nr.1 Octavio 19.Jh

Nr.2 Dottore um 19Jh

Nr.3 Donna Martina um 1920

(オリジナルは1759/60)

F.A.Bustelli

 

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Nr.4 Suppentasse um 1920

(オリジナルは1790)

Dominikus Auliczek

 

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Nr.5 Kaffee- und Teeservice

um 1820

(オリジナル)

J.P Melchior