Fuerstenberg (1753-Heute)

1753年から今日


フュルステンベルクは、ヘルツォーク・カールT・フォン・ブラオンシュヴァイクによって、その基礎が築かれました。

創業してから最初の10年は、純度の高い素地を作ることに大変苦労をし、製作所にとって非常に厳しい時代でした。磁器が灰色がかってしまったり、または薄い黄色味を帯びたり、上薬がきれいにかかっていなかったり、また斑点が出来てしまうことが度々だったのです。

その欠陥を隠すために、レリーフの起伏を際立たせた食器を制作したりもしましたし、また、独自のスタイルを作り出せるようになるまでは、主にマイセンの型を写していたようです。

この頃は、彩色によって欠陥を隠すこともあったようですが、とても優れた画家たちの描く美しい絵が、フュルステンベルクの製品の価値を高いものにしていました。

 

創業時の苦労の後、ヘルツォーク・カールT・フォン・ブラオンシュヴァイクは、ヘーヒスト製作所のヨハネス・ベンクグラフ(1708-1753)を説得し、一緒にフュルステンベルクを管理することになります。

ベングラフの死後4週間ののち、−これはフュルステンベルクの中で内密にふせられていましたが ー 生産はすぐに行われていました。

 

7年戦争(1756−1763)の頃には経営困難に陥り、多くの従業員を解雇せざるをえなくなっています。

1770年以降は、経営面で向上し、1790年まで、芸術的にも全盛期を迎え、この時期に擬古典主義へと様式が変化していきます。

1790年頃になると、レベルが低迷しますが、フランスとの間に、フュルステンベルクにとって都合のよい交渉がなされたおかげで、なんとか運営していくことができました。

1859年になると製作所は私有化され、1876年に売り渡され、1888年に株式会社となりました。その後、再び他社と競い合うほどの力をつけていきます。

 

フュルステンベルクが、この20世紀の始めに収めた成功は、ユーゲントシュティル(アール・ヌーヴォー)の繁栄にも大きく貢献しています。

今日では、とてもモダンな様式のものも多く作り出していますが、いまなお伝統的なモデルを大事に守りつづけています。


by MAOMAO

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Deckelterrine auf Unterteller

um 1760

Malerei von J.C.Kind

 

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Schaeferpaar als Kerzenhalter um 1760

Modell von Simon Feilner

 

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Paar Deckelvasen

um 1767/72

bemalt von C.G. Albert